田中敬己(たなか ひろき)
生年月日:昭和41年11月17日
資格 :鍼灸師、マッサージ師(国家資格)
・日本鍼灸理療専門学校卒業
・シオカワスクールオブカイロプラクティック卒業
・シオカワスクールSOT学部卒業
・その他、多数セミナー受講
まずは私の「不純」な動機からお聞きください。
極度の対人恐怖症だった私は、会社員が務まるとはおもえませんでした。
それならば、なにか一人でできる仕事を・・・と思っていたときに、
一冊の本と出会いました。
そこには寡黙な男性が、田舎で鍼灸と脊椎矯正をやりながら
俗世間を離れて生きている様が書かれてありました。
これを読んで自分に向いているのは鍼灸師だ!と思いました。
一人で生きていけるし、
黙ってツボに鍼をさせばいいだけだから、技術さえ習得すれば
自分でもできると勘違いしてしまいました。しかも、写真では患者さまは、
うつ伏せで背中に鍼を刺されている・・・
「顔をあわせてしゃべることもいらないんだ」と。
書店で整体師の方(最初の師匠)が書かれた本を見つけ買って読んだところ、
最後のページに「弟子募集」と書かれてありましたので、思い切って連絡し弟子に入れてもらいました。
大学受験もせずに、高校卒業と同時にこの世界に飛び込んだのです。
現実は・・・
東京の整体院で弟子として勤め始めたのですが、
極度の対人恐怖症のためお客様とコミュニケーションがとれず、
まともに施術ができませんでした。
この仕事はもっとも自分に向いてないんだと、
このときやっと気が付きました。
性格を直さないと生きていけないという思いから、
3年で整体院はやめました。
そして、自分の性格改善を目的に、
清水の舞台から飛び降りる気持ちで営業の仕事に就きました。
転職をし、2つの会社で計10年間営業をやりました。
その間も副業的に整体の施術は続けていました。
対人恐怖症は治ってはいませんが、このあたりで以前よりはマシになったように思います。
そのまま会社勤めで生きていくのもいいかなと思っていたのですが、家庭の都合でこの世界の仕事に戻りました。
告白します。
最初は苦しみしかありませんでした。
この仕事に就いた頃は
お客様とコミュニケーションが上手くとれないこと。
施術しても症状が改善しないこと。
この2点でいつも悩んでいました。
治療家になって10年以上経ち、
対人恐怖症がマシになり、
ある程効果が出せる技術も身に付き、
自分で開業してからはとても楽しくなりました。
本当の意味で、仕事に生き甲斐を感じられるようになったと言えます。
やはり痛みがとれたり、症状が改善してお客様に喜んでいただけたときが一番嬉しいです。
こんな自分なんか、と諦めたりせず、この道を追求してきて本当に良かったと思います。
この喜びの積み重ねが、治療という世界に私を結びつけてくれていたんだな、と今では感じています。
私がお客様に喜んでいただくためには、
目の前のお客様だけに集中し、ひたすらに結果を追い続けていくしかありませんでした。
口下手な私が、上手に言いくるめたり無理に予約をとったりできるはずもなく。
その分、時間をかけて施術しますので、
逆にお客様からいろんなお話を聞けることも喜びになってます。
あの私が、あの私だから?お客様のお話に耳を傾けることが喜びになってるなんて、
30年前には思いもよりませんでした。
これからも変わらずに・・・
口コミサイトに書いていただいた
「先生が本当に熱心です。 患者さんの事を本当に良くしてあげたいって気持ちが伝わってきます。」
の感想には正直、驚きました。
なぜなら、私にはそれしかできないし、
対人恐怖症だった私の気持ちが伝わることなど、期待すらしていなかったからです。
対人恐怖症だから、この業界に入りそして現実に打ちのめされ、
対人恐怖症だから、結果を出すことでしか価値を認めてもらえないと努力し、
今では胸を張って「治療家」と自負できるようになりました。
首痛で一ミリも動かせなかった人の、施術後の「すげー!」の一言。
「ここへ来れば、体が楽になるという安心感で、どれだけ気持ちが安らいだかわかりません」
という一言。
そういうお言葉をまた聞きたくて「治療」の世界から抜け出せなくなっています。
これからも、真心をこめて施術をさせていただき、
もっともっと喜んでいただけるようになりたいと思っています。
自分の価値が、お客様の喜びと等価である。
そう思えるようになった今は、30数年前よりも成長したと言えるのかな、
と、これを書きながら考えてちょっとしみじみしています。